晴れ女のわがままジャーニー(人生も旅も)

自由人です。やりたいことをやります。まず、やってみる。

語学をしてるとたまに忘れるけど自分は頭が良くない、でも言語は習得できるはず(3) 語学について最近分かってきたこと

前回、第2言語の国内独学では大事な何かが欠けていると書いて終わりました。

kirigirisumax.hatenablog.com

留学生の語学力が飛躍的に伸びるのはなぜか

結論を書く前に、留学生の語学力がなぜ伸び易いのかについて考えてみます。

海外留学をして帰ってくると、多くの人が自信に満ち溢れていませんか?

自分もそうでした。

一方、国内で独学をしている人は、そこまでじゃない気がします。

いや、自信満々の人もネットで見かけますが、少数派ではないでしょうか。

国内独学と海外留学の違い

こんなの簡単、海外に行けばネイティブと話す機会が増えるから自信がつくんでしょ。

そりゃ語学力だって伸びるでしょ。

それはそうです。

でも、それはちょっと安易な発想だと思うのです。

それ以外にプロセスの過程でもっと重要なことが海外では体験できると私は考えています。

それは、必死で聞いて、理解しようとすることです。

なーんだ、そんなこと普段からやっているよ!

という方も少なくないと思います。

でも、本当に必死でやっていますか?

ぬるま湯でやってはいないですか?

ぬるま湯ってなんじゃーい!!お主、喧嘩売っとんのか??

いいえ、いいえ、めっそうもない。

(一人芝居はこのへんにします・・・)

 

海外で会話をするにしても、まず話す前に聞かなければなりません。

自分が先に話しかけても、返って来た言葉を聞きとらなければなりません。

しかも、欧米の人々はアジア人だから、ノンネイティブだからといってゆっくり話してくれる人はあまりいません。

もしそんな人がいたらきっと「ホスピタリティ・オブ・ザ・イヤー」として留学生や駐在員から表彰を受けるでしょう。

8割わからないなんてことも

さらに、信じられないことに、こちらが聞き取れず、「もう一度いってください」とお決まりの文句を発しても、返ってくる言葉のチョイスは同じ、速度も速いままなどといったことはよくあります。

気の利かんやっちゃな〜!

こちらが逆ギレすることもしばしば。

1対1でその有様ですから、複数人数が集うミーティングなどとなれば地獄です。

大学の講義なども途中で脳みそが悲鳴をあげることがしばしば。

でも単位をとるためには、生き延びるためには、必要な手続きをするためには、わけのわからないことでも必死でただただ聞こうとするしかなかったのです。

結果、やっぱりわからなかったということもあります。

逆にそうか、分かった〜!ということもあります。

どのようにして分かったのか、それは、相手のキーワードが聞き取れなくてもその前後の話の流れから予測してこうだとわかるときや、聞いたことのないフレーズだけど、この状況からしてこの意味しかありえんでしょという場合もあります。

あの人は今ちょっと渋い顔をしているから、今先生は厳しいことを言ったのだな〜とか。

また、最初の人の発言は理解できなかったが、それに対して別の人が意見していることで最初の発言のあれはこういうことを聞いていたのかと腑に落ちることも。

とにかく、ありとあらゆる視覚聴覚情報を駆使しして、なんとかヒントを探るということに追われます。

聞いた文をいちいち文字に起こす時間などなく、情報の塊をひたすら今把握できている状況や情報を結びつけてわけのわからない言葉を理解しようと努めるわけです。

いずれにしても、そこに答えはありません。

だれかが「正解は〇〇です!」と答えを発表してくれればスッキリするでしょうが、

そんなことは一生起こらず、自分でひたすら解決していく。

 

私は、この言語理解のプロセスが非常に非常に大事であると考えます。

 

ポイントは、答えがないこと。

 

一方自分でテキストを使って勉強する場合は日本で出版されたものだと大抵日本語訳が付いています。

そう、答えがあるんです。

これが私の言うところのぬるま湯です。

 

あくまでも私見ですが、

答えがあると少々聞き取れなくても答えをみてすぐに解決できてしまいます。

仮に10回粘って聞いたとしても、最終的には正解を確認できてしまいます。

ぬるま湯です!

ぬるま湯です!

海外に行けば、100回聞いてわからなくても、答えが空から降ってくることはなく、わからないものはわからないまま、悶々としながら次の朝を迎えます。

悶々と、もやもやと、時にはイライラしながら、あーでもないこーでもないと奮闘するうちに、ふとある時点で、過去にわからなかった点と点が繋がることがあります。

脳の回路も繋がった瞬間です。

何がどう繋がったかは不明ですが、こうして必死を繰り返しているうちにわかるようになってきます。

 

答えがありすぎることの弊害

すぐに答え合わせできないことで、自分で考える力がつきます。

そうすることで、自分で明文化しなくても、無意識に言語の法則を見出す力が養われます。

 

私はこれが非常に重要だと思っていて、こうして培った言語の法則、すなわちルールは暗記して覚えた文法知識とは異なり、失われることがなく、しかも自然に応用できるので、「えっと、あのときは何を使うんだったっけな?」「ここの品詞はなんだったかな?」などと考える必要がなくなるのです。

逆に暗記の知識として詰め込んだものはなかなか無意識に取り出すことが難しいのではないでしょうか。

 

留学で耳から得た情報は、参考書のように訳文がついていません。

 

英語で得た情報を自分の身の回りの世界や情報と直接結びつけて理解しているので、それをいちいち日本語に訳すなどということもないです。

 

留学生が使う大学の教科書なども日本で売られているものとは違い、訳文も解説もありません。

 

意味は自分で考えて理解するしかないのです。

 

さらに言うと、理解した意味は日本語訳ではありません。

英単語やフレーズが示す概念を理解できるようになります。

 

一方、

日本で勉強するときは、英語でも中国語でも書店に行けば山ほど教材があります。

ご丁寧に訳文がフルで掲載されています。

文法解説までついています。

それはそれで、ありがたいですが、簡単に手に入った答えは、簡単に忘れてしまうという落とし穴もあります。

また、日本語と英語の文字と文字と結びつけてしまっているので、概念まで深く切り込んだ理解をしにくくなります。

 

例えば、

資料に以下の英語が書いてあったとします。

Training: Planning, Curriculum development, Delivery

この時、最後のDeliveryはなんと訳しますか?

この記事では、すぐに答えを見るのは良くないと書いてしまったので、この答えは次回書きたいと思います。この英単語の概念を理解している人であれば、辞書を引くことなく答えが出るはずです。

 

答えの暗記は、頭の良い人にとっては効率が良いでしょうが、私のような脳に限界を抱える人間にとっては得策ではありません。

 

でも、私は英語に関しては今ではストレスなく聞くことができ、話すこともできます。

英文を読んで、「なんかこれ変」というのも瞬時に分かります。

 

国内独学者と海外留学者の決定的違いは、そこにあると思います。

 

考えることを惜しむな

そんなのあなたねー、いちいち一つの英文聞いて考えてたら時間がかかってラチあかんわ!

というご意見もあるかと思います。

ですので、記憶力に自信のある方や、自分の頭脳はイカしてるわ、という方は多くの文書を読んで、訳と文法知識を叩き込んでやっていくのでいいと思います。

それで試験で高得点を叩き出せれば、それに越したことはありません。

 

でも、私のように、自分の頭脳は一般的・・とお考えの方がいましたら、

一度、このプロセスを重視した方法に切り替えるのも一つの手ではないかと思います。

 

一見時間がかかって遠回りに感じるこの方法が、実は一番近道ということもありえます。

 

じゃあ、実際にどのように言語に接していけば良いのでしょうか。

次回はそれについて書きます。

上の問題の答えもね。

(4)に続く。

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語学をしてるとたまに忘れるけど自分は頭が良くない、でも言語は習得できるはず(2)

前回は、自分の頭があまり良くないという自分にとって不愉快な内容を書きました(笑)。

前回っていつのことかいね?ですよね。。

すみません、1月に書いた・・・

前回のお話⬇️

kirigirisumax.hatenablog.com

頭の良し悪しに関係なく母国語はみんなペラペラ

語学は特段頭が良くなくても習得できると私は考えています。

こんな言い方をすると失礼でなのは承知ですが、どんなに偏差値の低い学校の生徒でも、漫画を読んだりドラマを見たりして分からないことはあまりないはずです。

自分の親とも友達とも普通に意思疎通ができるのです。

もちろん難解な文章を読んだり、直木賞作家になることは難しいかもしれません。

でも、いわゆる日常生活において何の問題もなく、ストレスを溜めずに話すことができることをいわゆるペラペラというのであれば、

母国語に関しては本来誰もがペラペラの領域にいます。

 

いや、それって母国語の話でしょ、母国語なんだから当たり前じゃん!

という方のご意見はごもっともです。

確かに母国語と第二言語は違うでしょう。

 

東大生すら英語がペラペラでないミステリー

日本人については、中高6年間も英語を勉強しておいて、全然英語が話せない!という屈辱的なコメントをよく耳にします。

ちなみに、私のいとこの旦那さんは東大卒の銀行員ですが、英語に関しては何故かいつも私に質問してきます。

内心、いやいや、大学入試の英語の点が絶対自分より高かった旦那さんに先に聞けよ!と思うことも少なくないのですが。。

そう、東大生でも英語を話すこととなると、少し自信がないようなのです。

昨今は小学校から英語を学んでいるようですので、現状は少し変わってきているのでしょうか?

それならいいですが、少し前までは、

母国語と第2言語(英語)では6年間学習して得られた結果がまるで違う状況です。

英語は多少読めて難しい単語が分かるようになっても話せない。

母国語は3歳なら難しい単語はわからないけど、自分の親と生活に必要な会話ができています。

 

でも、違うのは結果だけでしょうか?

そこを私は問いたいです。

 

結論から言うと、違うのは結果だけではないと思います。

 

何が違うのか?

習得する過程が日本語と英語では違っています。

 

昭和生まれの世代が最初に習うのは

This is a pen.

でした。

これ自体は何の問題もないと私自身は思っています。

ただ、問題は、最初に学ぶべき基礎の部分をあまりにもおろそかにしすぎていることに尽きます。

 

なんですって〜?

ちゃんと文法だって現在形から過去形やって、可能型やって、順繰り順繰りやってるんだぞー!

と憤る気持ちも分かります。

言語力の基礎とは何か

でもね。

でも、考えてみてください。

言語の基礎ってなんですか?

 

それは音を聞き取れるということなんです。

さらには、音を認識して、それを自分の身の回りの世界と結びつけることなんです。

これが言語学習の肝だと私は考えます。

 

赤ちゃんは1歳ごろになると話し始めますが、最初から

「これはペンです。」

と書かれた文字を読んで繰り返すことはしません。

実際、この文を赤ちゃんに読まれたら怖いですし、最初に言われたらもっと怖いでしょう。

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赤ちゃんは基礎がしっかりしている

赤ちゃんは自分の身の回りで自分が生きるために必要な言語情報を一生懸命聞き取って、それが何を意味するのかを一生懸命考えて、状況から、「あ、これはママだ」と判断して「ママ」、「パパ」と話し始めるのだと思います。

 

そして、大人の言葉をまねてどんどん言語を身につけていきますが、数年経って幼稚園の年中さんや小学校までは文字を日常的に読んだり書いたりすることはせず、耳からの情報だけで全てのやり取りを完成します。

そうして獲得した3歳児の会話能力は相当なもので、もう既にいわゆるペラペラの域に8割ほど達していると言っても過言ではないでしょう。

 

私は自分に子供はいませんが、オーストラリア時代、3歳くらいの小さな子と良く一緒に遊んでいました。

彼らが難解な単語など使わなくてもあらゆることを自分の親と意思疎通できてしまう能力が既にわずか生後3年で培われていたのを目の当たりにしていました。

お子さんがいらっしゃる方なら、なおさらよく分かるのではないでしょうか?

日本語でも同じですよね。

 

私が言いたい基礎力とは音を認識してそれを目の前の光景や状況と結合する力です。

 

日本の英語教育ではそこをすっ飛ばして、文字に頼る言語教育が多い気がします。

そして、簡単な単語も自由に使いこなせない状態で、難解な単語をどんどん叩き込んでテスト用紙に吐き出す訓練をしているようです。

問題と答えがあらかじめ用意されていて、解けるようになるまで訓練する。

そこには非常に大事な事が一つ抜けてしまっています。

 

それについて次回から書きたいと思います。

(3)に続く。

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