オリンピック(五輪)はイベントが目白押し
オリンピックの開会式は自宅で観ましたが、それからの2週間はイベントが目白押しでした。シドニー街全体がお祭りさながらの雰囲気で、なんだかみんな楽しそうだったのを覚えています。自分も病み上がりではありましたが、五輪にギリギリ間に合って退院できたことが嬉しくて、病気のことなど忘れて朝から晩まで遊びまわりました。
前回のお話⬇︎
当時は写メなどなかったので、紙の写真をゴソゴソ探していると、出てきました!シドニー五輪のチケット!!20年経ったので右側のチケットは色褪せていますが、左側の縦長の方は文字もまだくっきり写っています!すごい!
オリンピック(五輪)のチケット入手はそんなに難しくなかった
東京五輪とは違い、庶民がチケットを普通に購入できたシドニー五輪では、自分が見たい競技はほぼ全て見ることができました。
チケットの取得方法はシンプル。
電話して繋がったら、自分が欲しいチケットを好きなだけ注文できました。買いすぎて電話オペレーターに「もうダメです」なんて言われることもないので、一度電話が繋がったらここぞとばかりにあれもこれもと購入。今みたいに運良く当たらないと観られないわけではなかったのです。
田村亮子選手の金メダル獲得の瞬間
私は柔道や体操、サッカー、野球、テニス、バレーボールを観に行きましたが、中でも感動したのは柔ちゃんこと谷亮子選手のオリンピック初の金メダル獲得の場面です(当時は田村)。
若い人は知らない人も多いかもしれませんが、当時の田村亮子選手の人気は凄まじいものでした。
わずか小学2年生で柔道を始めてすぐに地元の大会で男の子を5人倒して優勝。
しかもその中には5年生もいたというから驚きです。
小2の女子にとって高学年は大人にしか見えません。
しかも男子!まさに猪熊慈吾朗先生の「柔よく剛を制す」ですね。
漫画のYAWARAブームなどもあり、あの小さな体から繰り出される一本、何度技を仕掛けられても絶対にかからないバランス感覚で百戦錬磨だったのです。
準々決勝ぐらいから見ていたのですが、準決勝で北朝鮮の選手と対戦した時に相手が強くてとてもハラハラしたのを覚えています。
この時柔ちゃんは世界選手権で1993年から金メダルを4つも獲得していたにもかかわらず、アトランタ五輪もその前のバルセロナでも銀メダルという悔しい結果に終わっていただけに(私から見れば十分輝かしい)、柔ちゃんの大応援団も会場に駆けつけて会場の盛り上がりはマックスに。
結果、柔ちゃんの優勝でみんなが喜びの渦に包まれたのでした。
また、この時は 野村忠宏選手も60kg以下級でV2を達成しました。
柔ちゃんの悲願の人生初のオリンピックの金メダルの瞬間を一緒に体験できて、本当に幸せで、メダルセレモニーでは私も感動して涙が出ました。
これがやりたかったんです、今年も!
感動して泣きたかった!
でも東京五輪の夢が幻となった今は・・・違った意味で涙がこぼれます。
③に続く。