と言っても、LAの話ではなく、〇〇ロスの話です。
私は台湾ロス、イタリアロス、海外ロスです。
でも、冷静に考えた結果、実はさほど深刻ではありません。笑
ヒトは、何かがもうすぐ手に入らなくなると知ったときや、すでに手に入らなくなった途端に、それを何としてでも手に入れたくなる。
期間限定商品や数量限定ランチなどが良い例です。
去年、東京五輪のチケット抽選で一つも当たらなかったとき、
仕方ない、「競歩」でも見に行くか!
と思ったものです。競歩など眼中になかったのです(競歩ファンの皆さん、ゴメンなさい。悪意はありません、これは好みの問題です)。
そして、その「競歩」とマラソンが札幌開催になってしまったときには、
なんだよ〜、「絶対競歩見たかったのにぃ!」
になってしまっていたのです。
私ったら、なんとワガママで身勝手なことを言っていたのでしょう。
最近、海外ロスも一緒なんだと思い始めました。
確かに毎年海外に行っていましたが、韓国を除いて、イタリアなどは毎年行けるはずもなく、おそらく今年行く予定はもうなかった・・・。
台湾も今年2月に1カ月行ったので、次に行くとしても、おそらく来年以降になっていたはず。
でも、すぐに行ける状態でなくなると、ヒトは手の届く場所にソレを置きたくなる。
数カ月前のトイレットペーパー不足のときも、お尻は一つしかないのに、何十個も買っているヒトがいましたね。
こんなことを言うと、相当ひねくれているなと思われるかもしれませんし、それで結構ですが、何かが一つなくなるとき、終わりを迎えるとき、ものすごく大勢の人々が口々に「残念だ」「残念だ」と言っているのにも違和感を覚えます。
これだけ多くのヒトが本当に惜しんでいるのなら、こんなことにはならなかったはずだと。
確かに、多くのヒトに支持されながら、コロナなどのやむをえない事情で終わりを迎えるものはあります。
その終わりを迎えたものを支えてきたコアなファンが存在することも分かります。
でも、通常モード下で終わりを迎える理由は、大多数の人がそれを支持していなかったからです。
一人一人がそこに足を運んでいなかったなど。
だから、そういうヒトには、「残念だ」と言う資格はないのだと思います。
残念がるなら、まず行動を。
海外ロスの話に戻ります。
2020年は多くのヒトにとって、残念な年になってしまいました。
いろいろなロスがあると思います。
ライブロス、飲み会ロス、旅行ロス、スポーツ観戦ロス、触れ合いロス、学校ロス、観劇ロス・・・
じっくり内省し、冷静に分析してみた結果、
こんなことについて、日曜日の昼下がりからアレコレ御託を並べている自分が
きっといちばん、
お出かけロスです!!!