晴れ女のわがままジャーニー(人生も旅も)

自由人です。やりたいことをやります。まず、やってみる。

イモトの「まだ何のためにやるのか分からない」が妙に刺さった話

日曜日の夜8時は毎週「世界の果てまでイッテQ」を見ています。

イッテQが大好きで、麹町のスタジオに観覧しに行ったこともあります。

前回のイッテQは、イモトアヤコさんが岡山でハイラインをやりました。ハイラインとは、高所綱渡りのことです。恐ろしく高い高層ビルや渓谷の上のスラックラインのような紐一本の上を歩いて渡るというまさに恐怖のアクティビティ。これをやりたい人なんて狂気に近い人だけでしょう。

例によって前回も、番組の企画でイモトさんは有無を言わさずこの恐怖の挑戦をさせられました。でも、頑張り屋のイモトさんは、どんなに泣きわめいても毎回必ずやり遂げる強靭な精神力の持ち主です。私はそんなイモトさんをいつも尊敬してやまないのですが、そのイモトさんが番組中に放ったある言葉が妙に突き刺さりました。

綱渡りの練習を体育館の低いロープで始めたとき、スラックラインの先生に「仕事でやらされているとかじゃなく、自分なりの目的を持ってやればできる」みたいな精神論を諭されたイモトさん。「仕事のためじゃなかったら何なのかがわからないので、これからそれを考えながら練習していきたい」という旨の答えをしたイモトさんでしたが、やはり、本番、地上数百メートルの断崖絶壁に立たされたとき、彼女はこう言ったのです。

「私はまだ何のためにこれをやるのか分からない。けど、人生なんてそんなもんでしょう」と。

普通の人なら失神してしまいそうな、足元がぐらつく恐ろしい場所に立たされた極限状態の中で彼女が放ったこの言葉が、妙に自分に突き刺さりました。

彼女はあの時点で、何とでも綺麗事を言えたはずです。これを渡り切ってコロナで大変な思いをしている人を勇気づけたいなどと陳腐なことも言えたでしょう。

でも、イモトさんにとっては、そうじゃなかった。どんなに意味を見出せなくても、全力で今、目の前にあるロープを渡りきることに取り組むしかない状況だった。

それって、ここまで極限状態に置かれていなくても、私たちの日常にもよくあることじゃないですか。これをやらなければ死ぬわけじゃないし、やる意味も分からないけど、でも目の前にあるそのことをやらなければならないってことが、人生にはあると思います。

人生ってそんなものですよね。

すべてのことに意味があれば、それは素晴らしいけど、実際、私も、自分がやっていることのうち、何のためにやっているのかが分からないことが多いです。そして、それに文句を言うことも結構ありますし、気分が落ち込むこともあります。

でも、例えば、このハイラインのイモトさんのように、本人は何でやるのか分からない状況でも、番組のプロデューサーがそれを望んでいたり、それを見た視聴者が喜んでいたりするのであれば、それは他の人にとっては意味があることです。

つまり、何が言いたいかというと、なんか分からないけど、やっていたら、続けていたら、気づいた時には何かが生まれていたなんてことがあるのかなって。

仕事や普段の生活の中で、嫌なことやつまらないこと、なんでこんなことまで私がやるのか・・・と思うこともたくさんあるけど、たとえその時に意味が見出せなくても、それはその時自分が分からないだけで、その行為自体が無駄ということにはならないのかなと、思うのです。さらに、誤解を恐れずに言うならば、その行為がたとえまるっきり無駄であっても、その時にそれをやらなければならないことというのは、やって損はないのかも。

それでも、それをやること自体に意味があると思うのです。

現に、あのハイラインのロープを渡り切ったとき、イモトさんは満面の笑顔でした。なんだかんだ言いつつも、いつも彼女はやってのけます。

一方で、自分ときたら、何かをやる直前になって、何かと理由や口実を作って逃げてしまうことがよくあります。怖くなったり、面倒になったり。こんなのやっても意味がないとか。

でも、立ち止まったり、振り返って逃げ帰るのではなく、ただ前に突き進むことが大事なのかと。人生はその繰り返しなのでしょうねきっと。そして、それを多くの人が出来ている。

これは、若い頃に、自分にプラスにならないことをすべて切り捨ててきた自分への戒めであり、大人になっても、まだグダグダ言っている自分を鼓舞するための独り言でした。

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