- 「紙」から発行の衝撃ーデジタル化で取り残された日本
- 日本に関する気持ち悪い番組の増殖
- 日本は高度経済成長期の余韻を引きずっている
- デジタルデバイドの反対側ー紙から脱却できない日本
- デジタル化の鍵を握る量子暗号
- 必要なのは技術ではなく気づき-オードリー・タン氏から学べること
新型コロナウイルス(COVID-19)の拡散と共に露呈した事実がある。
日本という経済大国のほころびだ。
「紙」から発行の衝撃ーデジタル化で取り残された日本
欧州で新型コロナウイルスのワクチン接種のデジタル証明が始まった一方で、日本ではまだ「紙」での証明書発行も始まっていない。というよりむしろ、「紙」から始めるのか!と衝撃を受けた。
マイナンバーカードの普及が昨年からコロナで加速したが、これに紐づけられるはずの各種手続きは、まだ紙ベースである。
11年ほど前まで米国に次ぐ世界第2位の経済規模を誇り、科学分野でも何人ものノーベル賞受賞者を輩出し、世界各地で高い評価を得ることも少なくない日本人がいるこの国が、なぜコロナ対策で人民の理解を得られない路線に走り、デジタル化でここまで世界に遅れをとったのかについて、腑に落ちない人も多いだろう。
でも、その予兆は少し前からあったように思える。
日本に関する気持ち悪い番組の増殖
数年前、新聞社に勤めていた頃に聞いたある会話を思い出した。
そこは国際部で、あらゆる国の駐在経験のある人が集まる場であり、バイリンガル以上の言語力とグローバルな視野を持つ優秀な若者や古参OBが勤める場所だった(筆者以外)*1
海外から帰ってきたばかりのある社員がこういう主旨のことを言い放った。
最近のテレビは、日本を自画自賛するばかりの気持ち悪い番組が増えている
筆者は直接その会話には参加しておらず、ただ聞こえてきただけなのだが、心の中で激しく同調したことだけはしっかりと覚えている。
なんとなく感じていた違和感。
確かに、日本のことが褒められると嬉しいし、外国人から評価されると誇らしく思う。
でも、日本人が率先して「日本ってやっぱ他の国より優れているね」と優越感に浸る番組を作ることに、それはなにか違うのでは?という感じていた。
日本のサービスが素晴らしいことは周知であり、日本の職人やメーカーの技術も素晴らしい。
だが、素晴らしいのは何も日本に限ったことではないのだ。
日本は高度経済成長期の余韻を引きずっている
かつて7つの海を制した英国がそうであったように、日本もまだ過去の残像から抜け出せないでいるのではないか。
自分が抜きん出ていると思い始めると、他から学ばなくなる。
過去に、海外に追いつこうと必死で戦後の経済を立て直したように、何か自分より高い目標を定めてそれを追い抜こうともがいていたときとは異なり、自画自賛し続けきたのではないか。
そして、気がつけば、デジタルデバイドされていた日本。
子供の時に読んだ平家物語の冒頭にもある。
驕(おご)れる者久しからず ただ春の夜の夢の如し
デジタルデバイドの反対側ー紙から脱却できない日本
コロナ禍で、未だにファックス通信をしながら激務にうなされる保健所の様子をテレビで見た時、「先進」という言葉とは程遠いなと感じた。
日本はまだ紙から抜け出せていない。
そして、その傾向が一番強そうなのがお役所だ。
筆者が住む地域(東京)のとある役所を見れば分かる。
一般市民から丸見えなの職場の職員のデスクには、紙の資料が積まれており、「びっくりするほど昭和」な雰囲気を醸し出している。
繰り返すが、ここは今年オリンピックが開かれる巨大都市の東京だ。
日本では未だに、ワークライフバランスの重要性を唱えながら、官僚が夜中まで働いている。ペーパーレスやデジタル化を推進する一方で、政府は一千万円以上もする巨大なシュレッダー(桜を見る会の不祥事でバレましたね)が必要なほど、紙を大量に消費している。
思えば、森喜朗氏が「IT革命」のことを「イット革命」と言い放った時に嫌な予感はしていた。
日本は取り残されたのだ。
知らず知らずのうちに謙虚さが抜けていたのかもしれない。
デジタル化の鍵を握る量子暗号
日本はかつて貯蓄率15%を超えていた*2世界有数の貯蓄大国であった。今でこそ貯蓄率はひと桁代前半まで下がっているが、これは日本人の国民性を表していると言われていた。
この慎重で堅実な国民性と日本の高齢者層の現金信仰の根強さには関係があるのだろうか。
筆者の70代の両親も未だにネットショッピングを敬遠している。カード情報が漏えいしたら困るというのがその理由だ。
そんなネットに懐疑的な人々の救世主になるかもしれない技術がある。
量子暗号だ。
これは量子力学を応用した「絶対に安全な暗号化」ができる次世代技術で、実用化すればネットの安全性が格段に増す。
量子コンピュータなどを使って膨大な時間をかければ破ることのできる従来型の暗号技術とは異なり、この量子暗号通信は"原理的"に破ることが不可能である。つまり、悪者がどんなに時間をかけても破れない暗号なのだ。
そのため、ネットのセキュリティ強化で非常に期待されているのだが、まだ長距離での通信が困難なため、日本でも東芝など産学協同で研究が急がれている。
ネットの安全性に一定の信頼が生まれれば、日本はもとより、世界のデジタル化は一気に加速するだろう。
必要なのは技術ではなく気づき-オードリー・タン氏から学べること
日本に必要なのは技術ではない。
技術はあるが、「気づき」が足りないのだ。
東京五輪が東京会場では無観客開催となった。
この決断は遅過ぎた。
開会式まであと2週間のこの段階で、チケット購入者や選手、さらには世界中を落胆させる結果となったことは、同じ日本人として悲しいし、なんともやりきれない気持ちになる。
会場に人を大勢入れてイベントを行うことがCOVID-19の感染の危険を拡大させることは、もうとうの昔に分かっていた。
ならば、なぜギリギリまで従来の形式にとらわれ、古い考えを捨てなかったのか。
日本の政治家や上層部の考えが古いからだ。
技術が古いわけではなく、考えが古いのだ。
日本のお偉いさんとIOCがどの時点で東京五輪を強行するかを決定したかは庶民には知りようがない。
しかし、それはかなり早い段階だったと予想する。
ならば、その段階で無観客を想定した工夫は出来なかったのだろうか。
勝手なこと言わせてもらうと、日本の高い技術を駆使して、もっと早い段階から無観客を想定したプランBを作ることも出来ただろう。
例えば、チームラボや落合陽一さんが持っている技術やアイデアを借りれば、自宅で試合を観ているチケット購入者がまるで会場にいるかのような現場投影も可能かもしれない。
筆者もかつてチームラボを訪れたことがあるが、自分の描いた絵が数秒後にはもう大画面で泳いでいた。この時感じた、自分がそのアートの一部として参加できた喜びは、そのまま五輪に参加したいと思っている人々の気持ちに応えることにも応用できたのではないかと感じる。
もし日本がもっと早くから、五輪が延期になった時点から、そのような臨場感を試合会場に作り出すような大規模な仕掛け演出し、観衆がその場にいなくても、選手が声援を感じ取れ、感染者も自分の応援メッセージを他言語で会場に文字表示したり音声で発信できるようなポップな未来型の応援空間がたくさん創れたかもしれない。
チケット購入者は現場に行けない代わりに、選手にメッセージを直接投げかけられるなどの特典があるだけでも面白いと思うし、3Dのバーチャル観戦が可能になれば、ハリーポッターのクイディッチのような現実にはありえないような壮大な観戦空間を作り出せたかもしれない。
そして、それをメディアを通して観た世界中の人々が、未来思考の日本にあこがれをいだき、五輪では東京に来れなかったが、コロナ収束後には是非来てみたいと感じれば、経済回復にも大いに貢献しただろう。
このコロナの危機や東京五輪の危機は日本にとってチャンスだったかもしれないのだ。
昨日、台湾のデジタル担当相、唐鳳(オードリー・タン)氏(40)が五輪の開会に合わせて来日するというニュースが流れた。
この若き天才大臣と日本の大臣が面会するのかどうかは不明だが、もしその機会があるのならば、是非、学んでいただきたいことがある。
それは、庶民の目線で物事を考えるということだ。
タン氏のすごいところは、そのズバ抜けたIQで、一般庶民の目線に立った政策ができるところにある。どこぞの国のおぼっちゃま大臣や脅し大臣とはレベルが違う。
時代劇を観ると、過去に庶民はなんと虐げられていたことかと思うが、それは果たして本当に過去だけのことだろうか?
現代社会においても、悪代官は存在する。
先日放送が終了した「ドラゴン桜」を観て、ハッとした若者もいたのではないかと思う。
財力や権力を手にした人々が、自分たちの利益だけではなく庶民の立場で考えることを日頃から忘れなければ、逆転の発想だって生まれたかもしれず、無観客観戦やイベント中止を単に落胆だけで終わらせることはなかったように思う。
それでも、この国に知恵と底力があることは戦後の日本が証明済みだ。
だからこそ、気付いて欲しい。
今、日本が足踏みをしていることを。
他から学ぶべきことがたくさんあるんだということを。
そして、
政治もイベントもすべて人民のためのものだということを。
それに気づいたときの日本は、おそらくヤバイほどすごい国になる。