晴れ女のわがままジャーニー(人生も旅も)

自由人です。やりたいことをやります。まず、やってみる。

語学をしてるとたまに忘れるけど自分は頭が良くない、でも言語は習得できるはず(2)

前回は、自分の頭があまり良くないという自分にとって不愉快な内容を書きました(笑)。

前回っていつのことかいね?ですよね。。

すみません、1月に書いた・・・

前回のお話⬇️

kirigirisumax.hatenablog.com

頭の良し悪しに関係なく母国語はみんなペラペラ

語学は特段頭が良くなくても習得できると私は考えています。

こんな言い方をすると失礼でなのは承知ですが、どんなに偏差値の低い学校の生徒でも、漫画を読んだりドラマを見たりして分からないことはあまりないはずです。

自分の親とも友達とも普通に意思疎通ができるのです。

もちろん難解な文章を読んだり、直木賞作家になることは難しいかもしれません。

でも、いわゆる日常生活において何の問題もなく、ストレスを溜めずに話すことができることをいわゆるペラペラというのであれば、

母国語に関しては本来誰もがペラペラの領域にいます。

 

いや、それって母国語の話でしょ、母国語なんだから当たり前じゃん!

という方のご意見はごもっともです。

確かに母国語と第二言語は違うでしょう。

 

東大生すら英語がペラペラでないミステリー

日本人については、中高6年間も英語を勉強しておいて、全然英語が話せない!という屈辱的なコメントをよく耳にします。

ちなみに、私のいとこの旦那さんは東大卒の銀行員ですが、英語に関しては何故かいつも私に質問してきます。

内心、いやいや、大学入試の英語の点が絶対自分より高かった旦那さんに先に聞けよ!と思うことも少なくないのですが。。

そう、東大生でも英語を話すこととなると、少し自信がないようなのです。

昨今は小学校から英語を学んでいるようですので、現状は少し変わってきているのでしょうか?

それならいいですが、少し前までは、

母国語と第2言語(英語)では6年間学習して得られた結果がまるで違う状況です。

英語は多少読めて難しい単語が分かるようになっても話せない。

母国語は3歳なら難しい単語はわからないけど、自分の親と生活に必要な会話ができています。

 

でも、違うのは結果だけでしょうか?

そこを私は問いたいです。

 

結論から言うと、違うのは結果だけではないと思います。

 

何が違うのか?

習得する過程が日本語と英語では違っています。

 

昭和生まれの世代が最初に習うのは

This is a pen.

でした。

これ自体は何の問題もないと私自身は思っています。

ただ、問題は、最初に学ぶべき基礎の部分をあまりにもおろそかにしすぎていることに尽きます。

 

なんですって〜?

ちゃんと文法だって現在形から過去形やって、可能型やって、順繰り順繰りやってるんだぞー!

と憤る気持ちも分かります。

言語力の基礎とは何か

でもね。

でも、考えてみてください。

言語の基礎ってなんですか?

 

それは音を聞き取れるということなんです。

さらには、音を認識して、それを自分の身の回りの世界と結びつけることなんです。

これが言語学習の肝だと私は考えます。

 

赤ちゃんは1歳ごろになると話し始めますが、最初から

「これはペンです。」

と書かれた文字を読んで繰り返すことはしません。

実際、この文を赤ちゃんに読まれたら怖いですし、最初に言われたらもっと怖いでしょう。

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赤ちゃんは基礎がしっかりしている

赤ちゃんは自分の身の回りで自分が生きるために必要な言語情報を一生懸命聞き取って、それが何を意味するのかを一生懸命考えて、状況から、「あ、これはママだ」と判断して「ママ」、「パパ」と話し始めるのだと思います。

 

そして、大人の言葉をまねてどんどん言語を身につけていきますが、数年経って幼稚園の年中さんや小学校までは文字を日常的に読んだり書いたりすることはせず、耳からの情報だけで全てのやり取りを完成します。

そうして獲得した3歳児の会話能力は相当なもので、もう既にいわゆるペラペラの域に8割ほど達していると言っても過言ではないでしょう。

 

私は自分に子供はいませんが、オーストラリア時代、3歳くらいの小さな子と良く一緒に遊んでいました。

彼らが難解な単語など使わなくてもあらゆることを自分の親と意思疎通できてしまう能力が既にわずか生後3年で培われていたのを目の当たりにしていました。

お子さんがいらっしゃる方なら、なおさらよく分かるのではないでしょうか?

日本語でも同じですよね。

 

私が言いたい基礎力とは音を認識してそれを目の前の光景や状況と結合する力です。

 

日本の英語教育ではそこをすっ飛ばして、文字に頼る言語教育が多い気がします。

そして、簡単な単語も自由に使いこなせない状態で、難解な単語をどんどん叩き込んでテスト用紙に吐き出す訓練をしているようです。

問題と答えがあらかじめ用意されていて、解けるようになるまで訓練する。

そこには非常に大事な事が一つ抜けてしまっています。

 

それについて次回から書きたいと思います。

(3)に続く。

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