2021年も、もうGW目前になってしまいました。
せっかくのゴールデンウィークなのに、どっこも行けず、
東京はきっと商業施設も百貨店もクローズしてしまいます。
これで仕事のストレスや疲れをどう発散しろと??
と思っている方も多いと思います。
実は、今年の初めに時間を捉えることを目標の一つに掲げたのですが、
なかなかうまくいっていません。
昨年10月25日に私は日本語教育能力検定試験を受けました。
3カ月半の短期決戦だったので、途中でストレスもたまり、
現実逃避モードになった問いに、私はある「リスト」を作りました。
「試験が終わったらやりたいことリスト」です。
受験生あるあるですね。
試験勉強でかなりストレスが溜まっていたのか、20項目余りのかなりのロングリストを制作。
でも、その割には、その中で実際に行動に移したのは、わずか4項目にとどまりました。
試験が終わって早5カ月。
遊ぶ時間は十分にありました。
でも、4つ目を達成した時点でなぜかもう満足してしまったのです。
リストに挙げたのは、まとまった時間がなければできないことや、平日だからこそできそう!と思ったことでした。時間はたっぷりとあったのです。
でもやりませんでした。
理由は簡単です。
気持ちがもう満足してしまったからです。
時間の問題ではなく、気持ちがいっぱいになってしまった。
何をやるにしてもそうですが、作業がものすごくはかどる時とそうでない時があり、その差が空き時間の量でないことに気がついている人は多いのではないでしょうか。
空き時間の長さ ≠ 勉強量や活動量
空いた時間がどんなにあっても、勉強量や活動量には直結しなかったのです。では何に関係するのでしょうか?
それは、気持ちの量でした。
気持ちの量 = 勉強・作業・行動量
気持ちの量って何でしょう?
どんなに時間がなくても、食べたい!と思えば、コンビニにちょっと寄っておにぎり1個を立ち食いしたりするものです。
勉強もやりたいという気持ちや渇望があれば、電車の中でもラーメン屋に並んでいる間でもスマホを使って音を聞いたり、本を読んだりできますよね。
でも、どんなに時間やお金があっても、気持ちがそこに向かなければ何もはかどらないもの。
何か緊張するプレゼンなどを控えていたりすると、その前にどんなに時間があっても他のことができなくなってしまったりするようなことです。
平日、仕事で疲れすぎて、夜はソファーでぐったりなんてことも。でもこれも、必ずしも肉体的な疲れではないはずです。
それは自分の欲望や渇望であったり、焦りや、その逆の精神的な余裕かもしれません。
とにかく、気持ちのキャパが自分の行動や充実に直結しているような気がします。
そして、時間って不思議なのです。
必死で仕事しているとあっという間に1日が終わり、
暇な時は1時間がなかなか経たない。
子供の頃、アインシュタインの伝記を読みました。
よくテレビで見かける、顎が飛び出しているほうではなく、科学者である本物のアルバート・アインシュタインさんの方です。
アインシュタインは26歳の時に特殊相対性理論を、37歳の時(1926年)に一般相対性理論を発表しました(すごーorz)。
彼は、光速は誰から見ても一定であるとする一方で、時間と空間は相対的であると考えました。
相対性理論では、光速(またはそれに近い速さ)で運動する物体の時間が遅れるとしていて、面白いのは、宇宙旅行に行って帰ってきた双子の兄は弟よりも若くなるという理論です。
ちょっとワケが分からないですよね。
運動している物体の時間が、静止しているものよりもゆっくり進むということや、ある人には同時に見える二つの出来事が、運動する別の人には同時に見えないことなど、とにかく面白すぎました。
あまりに面白いので、アインシュタインを特集した雑誌を買って読んだこともあります。
ただ、相対性理論がどうであれ、
1年は365日5時間48分46秒です。(なぜかこれだけ小さい頃から覚えている)
誰でも生まれてから20年経てば、成人を迎え、
40歳も過ぎて来れば、シミの一つも目立ってきます。
COVID19のパンデミックが始まってから早2年が経ちましたが、
この2年も誰もが同じ秒を刻んで積み上げた2年なのです。
だから私はこう思います。
今年も来年も再来年もたとえコロナでどこにも行けなくても
この1年、2年、3年があったからこそ今の自分があると言えるような
気持ちの充実を図りたいと。
それは、ただ日々の仕事を粛々と進めていくことかもしれませんし、
語学の勉強や副業に精を出すことかもしれません。
今しかできない新しいことを始めることかもしれませんし、
こうしてブログを書き続けることかもしれません。
でも、今やりたいのにコロナのせいで出来ねーよ!ってことがもしたくさんあるとしても、試験勉強中のリストと同じで、
コロナが収束した途端に、急にどうでもよくなることも考えられるし〜
なんて考えながら、
今年のGWはゆっくりパンの生地でも捏ねようかと思っています。
戯言でした。