晴れ女のわがままジャーニー(人生も旅も)

自由人です。やりたいことをやります。まず、やってみる。

久々に緑内障の検査に行ってきた。芸能人は歯が命。ブロガー陣は目が命。。

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眼圧を抑えるための点眼薬「タプコム」

昨日緊急事態宣言開け初日、今年初めて眼科に通院してきました。と言っても、これは前々から予約していたもので、緊急事態が開けたからということではなかったのですが。。

なんだか行く前から嫌な予感がしていました。

そして、その予感は見事に的中・・・眼科は多くの人でごった返していました。

そもそも対して大きくもないこの眼科。ここで私は定期的に緑内障の視野検査をしています。本当は3ヶ月に1度の通院なので、台湾から帰ってきた後しばらくして受ける予定でしたが、コロナの真っ只中だったし、これが不要不急の外出かどうかと問われたならば、ちょっと?だったので行くのを控えていました。

でも行ってかなり後悔しました。緊急事態宣言が開けてブワーッと患者が押し寄せていて、なんと3時間以上3密状態の眼科に滞在する羽目に!検査項目も多いし、なんだか向こうの手違いもあって相当待たされてしまって、ああ、なんで緊急事態宣言の解除のタイミングが私の通院と重なるんだ!私になんか恨みでもあるんかい、安倍さんよぉ〜とやや逆ギレしつつ、家路に着いた時は精魂尽きてしいまいました。あまりにも密だったのでマスクも一切外さず、水も飲まず、ただただ三国志を読みながら座って立ってを3時間繰り返したのでした。。。これ、本を持って行っていなかったら発狂していました。

私は緑内障です。なんだか文字を緑に塗りたくなる名前ですが、緑色とは関係のない疾患です。中国語では青光眼qīngguāngyǎn)」、って青色やないか〜い!しかも光ってるw。日中のWeblio辞書を引くと「绿内障」という日本語そっくりの中国語訳も出てきますが、それをネイティブに言ってもはあ?って顔されます。台湾で仲良くなった友達によると、青光眼の方がメジャーな言い方だそうです。

緑内障が発覚したのは偶然でした。まだ新聞社で仕事をしていた頃、突然パソコンの画面が見えなくなりました。眼は開いているのに、画面の文字が急に読めなくなったのです。一瞬貧血か立ちくらみのようなもの(この場合は座りくらみかな?)かと思いましたが、その場合、目の前は真っ暗になるはずです。でもその時は違っていました。目の前の一部分に何かがいて、ちょうど眼鏡をかけている時に眼鏡に液体化何かが飛び散って見えなくなったような感じでした。かなり動揺して、しばらく目をつむってから開くを繰り返していると15分ぐらいでその現象はなくなりましたが、怖くなってすぐに眼科に行きました。

その時はストレスなどで一時的に目が見えなくなっていたようです。そんなことってあるんですね。新聞やニュースはスピード勝負。新鮮さや目新しさがないと、それはもはやニュース(NEWS)ではなくなってしまうので(OLDS?なんて。。笑)、常に時間との戦いの中で間違いは絶対に許されないというプレッシャーは確かにありました。それに比べるとブログは表記は自由だし日本語崩壊しててもオッケーだし(オッケーじゃなかったらスンマセン。)、比較的なんでも自由に書けるし、いろいろなしがらみに気を使わなくていいので楽ちんです。少々間違えても顛末書(てんまつしょ)とか書かなくていいですからね。ちなみに中国語で"新闻"は日本人には新聞に見えますが、「ニュース」の意味です。日本語の「新聞」は中国語では"报纸"。なんかややこしいです。昨日NEWSの手越君が活動自粛を発表しましたが、このNEWSというグループが中国で"新闻"と訳されているかどうかは定かではありません。今度調べてみます!

話が逸れましたが、あの時ストレスで一時的に見えなくなったことがきっかけで目の精密検査を受けたおかげで緑内障が発覚しました。恐怖は味わいましたが、早く気付けてよかったです。緑内障は視神経が死んでしまい視野が徐々に狭まっていく疾患です。視野が狭くなって最後には見えなくなるこの病気。怖いので、毎日点眼治療を続けています。一度死んでしまった細胞は二度と蘇りませんが、視野が狭まるのを防ぐことは可能です。視野は私の場合は周りが欠けていますが、必ずしも周りからどんどん丸く狭まっていくというものではないそうで、真ん中が小さく見えない場所が出たり、それが左だったり上だったり人によってまちまち。私の場合は、左目で右側が見えていないのですが、両目だと普通に見えます。右目が全部見えているので右目が左目を補っているからです。よかった右目があって!!

ただ、これは裏を返せば、たとえ自分が緑内障であっても初期の場合は片目で意図的に見ようとしない限り気づかないので、発見が遅れる危険もあるということです。普通は60代などの高齢者がなる病気です。私は若くして緑内障になってしまったので、発覚した時はショックでしたが、今は点眼でなんとか進行を遅らせることができています。先生の受け売りですが、40歳過ぎたら念のために1度検査してみることをお勧めします。

緑内障のメジャーな検査は視野検査です。一箇所に視点を合わせたまま周りにポツポツ出てくる光に見えたらボタンを押すテスト。その他にも目の写真を撮ったり眼底検査なんかもたまにやります。

でも、今回久々に検査を受けようと思ったのは、左目がやや見えづらく、口ではうまく言い表せないのですが不快な感じで気持ち悪かったからです。私が緑内障を患っているのも左目です。視野が急に狭くなっていたらどうしよう・・怖いので、コロナ禍の3密にも3時間耐えたのでした。。

そして、検査で驚きの事実が発覚してしまいました。

今どうしようか悩み中です。

長くなったので、続きは今度書きます。

 

 

 
 

語学に挫折はつきもの。単語は忘れても自分が努力してきたことだけは忘れるな!!

中国語だけでなく、語学をしていると楽しい時とそうでない時があります。うまく言えて嬉しくなったり、自分が全然上達していないと感じて落ち込んだりの連続です。

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もういやや。絶対ムリやし。

そんな時、落ち込み過ぎて「自分には才能がないんだ」「もうやめよう」「絶対無理」と思いたくなる時があります。でも、語学は続けていれば必ず少しずつ少しずつ上達していきます。私も中国語をやっていて、「もー自分全然イケてないな!」と思うことがしばしばあります。そして、中国語なんか見たくもないわ!と投げ出したこともありました。

それは普通のことだし、それでいいんだと思います。

おかしなもので、ヒトは物事にすぐに慣れてしまいます。例えば、昨日までは「多喝水」「多穿衣服」と言いたくても”多”をどこにつけたら良いかさえ迷っていたのに、いざ言えるようになると、それは恐ろしく簡単なことに思えて、自分はまだこんなことだけしか言えないなんて!と悲観的になるのです。最初は吓了/吓死了だったのが吓死我了になり、さらには吓死人了と自然に言えるようになっていても、実はそれが口をついて出てくるようになるまでにいろいろ頑張ったんだということを人というのはいとも簡単に忘れてしまいます。そして、こんな短い簡単なことしか今だに言えないなんて・・・と落ち込んだりするのです。

でも、人間って本来物事に慣れやすい生き物です。それが生きていく術。慣れるのはいいことですが、悪い言い方をすればそれはイコール飽きるということです。なので、もうこんな言葉毎日言っとるわ!というフレーズが増えてくることは不可避なんだと思います。でも、自分が忘れちゃってるだけで必ず進歩していくのが語学の良いところです。

大事なのは、一度ヤメても、復活することです。再び本に手を伸ばすことです。そのためには自分が努力してきたことを絶対に忘れてはなりません。私は毎日中国語に注いだ時間を記録しています。それは、自分がいとも簡単にこれまでの自分の努力を忘れて、投げ出してしまえることを知っているからです。自分が頑張った時間を毎日記録することで、嫌になったらそれを見て思い出します。こうやって私もドラゴンボール孫悟空のごとく何度も復活してきました(偉大なる悟空はん、スンマセン!)。もう次に中国語をやめてしまったら、再起不能になる前にカリン塔の「精神と時の部屋」にでも入って5G(スマホの第5世代じゃないですよ)で修行しなきゃなんて思っています。

冗談はさておき・・。

昔、尊敬する通訳の柴原智幸先生のセミナーに出た時、先生は「努力は裏切らない」「英語はやった分だけ身になる」とおっしゃっていました。先生の言葉が私は今でも忘れられません。これは中国語にも当てはまるはずです。先生の発する日本語はとても美しく、通訳は英語の技術を磨くことだけに専念しがちですが、現場で洗練された日本語を話すことがいかに大事かも教わりました。

そんな先生の言葉を胸に今日もまた中国語に励みます。1日1ナノメートルずつでも前に進んでいれば、それは紛れもなく進歩なのですから。

最後に一言!

単語は忘れても自分が努力してきたことだけは忘れちゃだめ!!

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