11月25日は元キューバ共和国国家評議会議長のフィデル・カストロ氏の命日です。
チェ・ゲバラらと共に1959年のキューバ革命の先頭に立ち、ゲリラ戦で当時の独裁政権を打倒し、キューバを今の社会主義国に変えた人物です。
革命のイメージが強いため、バリバリ軍事派かと思いきや、元弁護士のインテリで、親日家でもあります。訪日した際には原爆ドームに慰霊に訪れ、昭和天皇崩御の時には喪に服したそうです。
そんなカストロさんを船で通訳をしている時、近くで見る機会がありました。
カストロ議長と言えば、米国と関係が悪いキューバのリーダーであるため、日本ではあまり良いイメージがないかもしれませんが、独裁者にありがちな私服を肥やすタイプではなく、万人に富を分配し格差のない社会にすることに力を尽くした人物で、これに反対して米国に逃げる人がいる一方、多くの国民に支持されていたそうです。
2014年には米オバマ大統領がこれまでのキューバとの関係を改善するために米国大使館をハバナに置き、対キューバへの制裁は緩和されました。
この後、日本からは2015年に岸田首相が外務大臣時代にキューバに赴き、フィデル・カストロ前議長と弟のラウル・カストロ国家評議会議長と会談し、援助を申し出ました。
カストロ氏は脱原発に非常に力を入れていたことから、この日も脱原発・非核のフォーラムに登壇しました。
カストロさんはスペイン語なので、スペイン語通訳とリレーの英語通訳が担当しました。私はこの日はフリーだったので、フォーラムに参加はしましたが、見る側でした。
といっても、正確には見ながら寝る側といったらよいのか・・途中何度か頭がガクッとなりながら、お話を聞いていました。
居眠りと聞くと、なんと失礼な!とお思いになるかもしれませんが、
カストロさんはお話がめちゃくちゃ長いのですよ。
この日も例外ではなく3時間ぐらい、いや4時間くらいかな・・とにかく長い間ずっと喋っていました。
この時、カストロさんはかなりのお歳で、ジャージみたいな上着を羽織った姿で周りを何人かに支えられながら登壇したのですが、話し出したら止まらない止まらない。
原子力や核に反対の話から、なぜか宇宙の話などに広がっていき、最後はどこにたどり着いたのか記憶がもうありません。
力強く話していて聞いてあげたかったのですが、いかせんなが過ぎて、寝ざるをえないというか、もう、途中で思い切って目を閉じました。
通訳は本当に大変だったと思います。
カストロ氏は間近でみると、カジュアルなおじいちゃん。
歳だからというよりは、昔からこんな感じの方のようで、確かにスーツ姿は見たことがないかも。
フォーラムの最後には日本のハッピをプレゼントされて、それを着て嬉しそうに笑っていました。
今となっては激動の人生を駆け抜けた歴史上の人物となってしまいましたが、間近で入られたことは貴重な経験でした。
フィデルカストロ氏がキューバに絶大な影響を与えたことはまぎれもない事実です。
キューバは先日参加したオンライン旅行でも話題にのぼり、ちょうど前回のハバナの記事を載せた後だったこともあって、楽しく聞きました。
このコロンブスが発見したキューバとカストロ氏とチェゲバラについて、この記事でもっと詳しく書きたかったのですが、祝日に仕事したり、もうすぐHSKだったり、オンラインツアーに参加したりラジバンダリで・・・忙しく(全部言い訳)、結局25日に間に合わなくなりそうなので、ここでは割愛します。
参考資料として、キューバという国について外務省が分かりやすくまとめた記事をリンクに貼っておきます。