晴れ女のわがままジャーニー(人生も旅も)

自由人です。やりたいことをやります。まず、やってみる。

日常を失うことは戦争と同じ-思い出したキャサリンさんの言葉

「あなたの愛する人と今何がしたいですか?愛する人と楽しく過ごしているところを想像してみてください。一緒にご飯を食べているところですか?友達と誕生日をわいわい祝っているところですか?それとも一緒に汗を流すことですか?」

 

地球一周の船旅「ピースボート」で通訳をしていたとき、ピースボートの共同代表でICAN核兵器廃絶国際キャンペーン)の運営委員でもある川崎哲氏と軍縮教育家のキャサリン・サリバン(Kathleen Sullivan)さんの通訳をする機会が何度かありました。被爆者の方々と共に世界を巡り、被爆者の実体験を本人の言葉で船上の人々や寄港地の人々に語る「おりづるプロジェクト」という活動の通訳を担当したことがきっかけでした。

先述の言葉はそのキャサリンさんがあるワークショップで問いかけた言葉です。ワークショップの詳細は割愛しますが、キャサリンさんは最後にこう締めくくりました。

「戦争とはさきほど皆さんがそれぞれ口にした日常を奪うものです。昨日当たり前にできていたことが、明日は当たり前にできなくなる。それが戦争です。」

 

とても考えさせられました。戦争はいかなる理由があろうとも絶対に起こしてはならないものだと再確認したのを覚えています。

 

その戦争が今、私たちの目に見えない形で全世界に起こっています。

その敵は目に見えず、微細ながら強大な破壊力を持っています。

世界中の人々の昨日までの朗らかで慌ただしい日常を失うのに、そう時間はかかりませんでした。

やりたいことができない。会いたい人に会えない。行きたい場所に行けない。

すると不思議なことに、その矛先はその見えない敵ではなく、身近な人に向かいます。自分の周りにいる外国人に差別的な言葉を浴びせたり、自分の指導者が恐ろしく頼りなく情けない存在に思えて罵ったり、商店の店員に詰め寄ったり。挙げ句の果てには敵から攻撃を受けた人までをも責めてしまう有様です。

これは悲しいことです。

でも、一つ共通していると感じるのは、みんな自分や家族を守ろうと必死であるということです。その必死さゆえのディフェンスなのでしょうが、ここで人類が乱れてはウイルスの思う壺だと思うのです。

みなさん、もう一度、冷静になってみませんか?

 

加えて、医療従事者の方々は患者さんの救命にも心血を注いでいます。私が家で引きこもっている間、郵便配達や建築現場で今もなお奮闘してくださっている方々がいます。ホテルで軽症者の管理を行ってくれている方々がいます。マスクや防護服を昼夜問わず作ってくださっている方々がいます。

コロナ禍を戦場に例えるならば、こうした方々は勇敢な兵士です。最前線で戦ってくれている方々には感謝しかありません。

今外に出られなくてつまらないとか、お子さんがいて大変で歯がゆい思いをしている方は多いはずです。でも、私ができることは、最新の注意を払って感染を防ぐことで、勇敢な方々の足手惑いにならないことぐらいです。だから、これからは家にいるから「つまらない」とは言いたくありません。つまらないどころか、死ぬほど辛い思いをしている人が今たくさんいるということを忘れてはならないと思います。その人たちのためにも、自分は最善を尽くしていると胸を張って言えるよう頑張りたいと思います。

 

これが戦争です・・・・・いいえ、戦争はもっと悲惨で醜いものだと思います。今の何十倍も辛いものだということを被爆者の方から直に話を聞いた時に感じました。でも、そんな戦争を知らない世代の私たちでも、今ならその悲惨さが少しは分かるのではないでしょうか。

 

キャサリンさんの言葉はとても力強く、あるセッションでは涙を流しながら人々に訴えかける姿がとても印象的でした。通訳は通常、短期記憶に頼って会話のチャンクを処理するので、訳したことを言ったそばから忘れるぐらい切り替えの速い生き物です。でも、こんなキャサリンさんだからでしょうか、つい先日ふと彼女の言葉を思い出したんです。

「日常が奪われるとはこういうことか・・」と。

彼女の訴えは私の長期メモリーにも深々と刻まれていました。

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