メルボルン行きのフライトを数日後に控えた1月4日、私は卵巣嚢腫の摘出手術のための術前検査のために、再び大学病院を訪れました。
【前回のお話】
当日、手術予定日が2月4日、入院は2月3日からに決まったため、「台湾行きの航空券はキャンセルしないとなー」と考えつつ、血液検査やその他の必要な精密検査と手術方法の打ち合わせを行いました。
私の場合、手術の選択肢は2つありました。
- 卵巣嚢腫だけを抜いて取り去る方法
- 右の卵巣ごとごっそり除去する方法
の2つです。
私はもう40代。この先子どもを授かることもなさそうだし、いつも悪さをしてくる右の卵巣が憎かったことから、先生と相談して2つ目の選択肢を選びました。医者が嫌い、病院嫌いの自分は、入院がなお一層のこと嫌いなので、2度とこんな目に遭わないためにも、右の卵巣を取ることは理にかなっていると思いました。自分の体の一部とサヨナラするのは悲しかったですが、それも運めと腹を決めたのです。
すべての段取りが整い、先生が最後に、じゃあ念のために最後にもう一度エコーで卵巣の腫れ具合を見ておきましょうか。と言いました。
それで、何も考えずに検査台へ。
いつものように卵巣の腫れ具合を確認ーーーーーーですが、いつもよりも時間がかなり長く掛かっています。こっちも途中からどうして?どうしたの?とそわそわしてきた時に、先生がやっと口を開きました。
検査していたのは、手術してくれることになっていた私の主治医は年下の女医さんでした。
主治医:「変ですね〜。ん〜。変ですね〜」
私 :「先生、何が変なんでしょうか?」
主治医:「あのー、なんでこんなに手間取っているかというと・・・」
私 :「はい。」
主治医:「無いんですよ・・・その・・・卵巣嚢腫が・・・」
私 :「は?」
主治医:「さっきから隅々探しているんですけど・・」
私 :「は、はぁ・・・。(どうゆうこと!?)」
主治医:「ちょっと待っててください。別の先生にも見てもらいますので。」
***しばらくして***
主治医:「ベテランの先生を呼んできました。もう少し辛抱してくださいね」
ベテラン先生:「見たところ、卵巣嚢腫はないですね」
私 :「もう破裂したんでしょうか?」
ベテラン先生:「いや、別の可能性が考えられますので、一旦診察室に戻りましょう」
ということで、診察室に戻って説明を受けたところ、以下のことが分かりました(医師の推測)。
右の卵巣が破裂していないことから、卵巣嚢腫だと思っていたあの風船は、卵巣嚢腫ではなく、おそらく腹膜嚢胞だった可能性がある。それが、それが何かの衝撃で破裂したか、穴が開いて、しぼんだ可能性があるというのです。
私は過去に手術を何度もしているため、癒着なども多くて、腹膜嚢胞ができる可能性は十分にあるとのこと。この時期、私はお腹がチクチクして痛かったのですが、先生によるとそれはおそらく、内臓を覆っている腹膜から水が少しずつ漏れていて痛かったのではないかということでした。
私が運が良かったのは、実際にお腹を切り開いて手術をする前にこの風船がしぼんだことが判明したということです。「お腹を開いてみたら卵巣嚢腫じゃなかった!ってことにならなくて良かったですね!」って先生もおっしゃっていましたが、当たり前です!切られる側としては想像しただけでゾッとします。無駄に体を切ってさらに癒着は増えるわ、金はかかるわ、おまけに留学も行けなくなるわだったら凹むどころの騒ぎじゃない。。
卵巣嚢腫なくなってるよ、ちゃんちゃん!じゃ済まされないでしょ´д` ;
医者も人間。間違えるんです。これもし本当に切ってたらただの事故だったかも。私は一度過去に事故に近い手術を受けたことがあるので、そんなのはもうこりごりです。その時は出血多量で、医師は手術の途中で手術が中止になったと言っていましたが、私はあれは下手くそな医者によるただの失敗手術だったと思っています。
とにかく、間一髪のところで、手術を回避できたわけです。
先生も、もっと先にもう一度調べておけば良かったのに、散々やった後で最後にこんなことになり、すみませんと言っていました。
なんとも腑に落ちないエンディングを迎え、複雑な気持ちで大学病院を後にしたのでした。
そして、そのちょうど1年後、つまり、数日前、同じ大学病院から駅までの道を歩きながらしみじみとあの時のことを思い出したので、今ブログに記しています。
何はともあれ、結果オーライですね。
こうして私はその翌月、無事、台湾行きの飛行機に乗り込んだのでした。
その後台湾で過ごした1カ月の様子は皆様がご存知の通りです。