船はタヒチを後にし、ペルーに着きました。
前回のお話⬇️
ぺルー滞在の2泊3日は英語通訳はフリー
ぺルー滞在は2泊3日でしたが、スペイン語通訳が3人いたので、英語通訳は数日前に非番を言い渡され、ここではフリーに。
もっと前から知っていれば、マチュピチュやナスカの地上絵に行く準備もできただろうに、急に自由行動になってしまったので、何もできず。
「早く言ってよ〜」と心の中で何度もつぶやきました。名刺で有名なSansanのCMのようなあの軽いノリではありません。
かなり切実だったのです。
急な非番は、つまり通訳がツアーに入れないことを意味します。
なので、自力で遊ぶしか無いのです。
それはそれで楽しいはずですが、急だと何も整わず、慌てて首都リマにある1泊10米ドル程の激安ホステルを船から予約し、他の英語通訳や一部の英語の先生たち数人と滞在することにました。
だから、これから英語の通訳としてピースボートの船に乗る人には先に言っておきます。ペルーではおそらくフリーですのでその心づもりを!
ところが、これがかえって私にはまあまあな幸運でした。
というのも、最悪なことに、私はペルー上陸2日くらいから風邪で熱を出してしまいダウン。ペールの3日間は半ば病人だったのです。
船で病気になったら
船にもお医者さんと看護士さんが乗っていて、船内のクリニックに常駐しています。
調子が悪くなったら、船医を訪ねて行って風邪薬などをもらうことができました。
この時もカヤオの港に着くまでは船のクリニックでもらった薬を飲んで船室で休んでいました。なので、常備薬は持って行きますが、急な時でも一般的な症状なら全然平気です。
ですが、重病であったり、特殊な病気や、一刻を争うような急病は対応できないと思うので、体調管理は十分に行い、発作などのある人は乗るのは控えた方が無難です。
なぜなら、太平洋のど真ん中ではドクターヘリどころか、小型飛行機でも飛んでくることは困難だからです。
空母では無いので、船への着陸は不可能ですし。。。
持病がある人は船に乗れないの?
じゃあ、持病がある人は船に乗れないのかと言ったらそんなことはないと思います!
個人的に一番怖いのは太平洋と大西洋だと思いますが、それ以外の例えば地中海などは、陸地に近い場所を航行して毎日どこかに停泊するので、急病人でも船を降りて現地の病院に運んでもらえると思います。
お金は掛かりそうですが。
ピースボートにはフライト&クルーズというプログラムがあり、何ヶ月もお休みを取れない人が飛行機で寄港地に来て、そこから船に一定区間だけ乗るもののあります。
そうした制度を利用して、アジアから欧州まで行き、アフリカから飛行機で帰国するなどいろいろな形で楽しめると思います。
船に乗るにはインフルエンザの予防注射が必須
船の旅の前には予防接種も必要でした。
私は普段はインフルの予防接種は受けませんが、この時ばかりは受けさせられました。
スタッフは全員接種義務があったので、おそらく乗客も同じく皆さんワクチンを打ってから乗っているのだと思います。
なぜなら、船の中はウイルスがとても広がりやすいからです。
なーんて、経験者が言わなくても、おそらく「ダイヤモンドプリンセス号」の件で全国民がお気付きのことと思います。
今やどこに行くにも、インフルエンザワクチンどころか、新型コロナワクチンの接種証明や陰性証明書が必要な時代です。
今後船の旅はどうなっていくのでしょうね。
ペルー謎の3日間
ペルーの記憶はおぼろげ。
ペルーに着いたとき、他の人たちが活動的に孤児院などを訪れたりして満喫している間、私はもっぱら宿でぐったり&のんびりしていました。
なので、せっかくの3日間でしたが、私はほとんど何もせず・・。
ルームメートのカナダ人はマチュピチュまで行ってきて楽しそうでした。
以下、定かではないペルーの記憶を遡ります。
いきなりですが、この下の写真は確か初日に訪れた場所。
何かの遺跡ですが記憶がありません。。
なんだか階段がいっぱいあるけど、残念なくらい記憶が失われています。
私は本当にここにいたのでしょうか?
( ̄□ ̄;)
でも、自分のカメラに収まっているので、私はそこに存在していたのでしょう。。。
博物館らしきところにも行きました。
誰と行ったのかは覚えていません。
上の手になんだか人が群がって写真を撮っていたのは覚えているのですが、一体これがなんの手なのかがサッパり分かりません!
誰かわかる人がいたら教えてください。
( ̄_ ̄|||)
2日目くらいからちょっと体力が回復したので、まだ少し辛かったけど、リマの街をぶらぶらしてみました。
だって、折角ペルーにきたんだから・・・勿体無い!
リマは治安が悪いと言われているので、あまり変なところには行きませんでしたが、昼間は特に危険を感じることはありませんでした。
宿の近くのマーケットみたいなところには色とりどりのとうもろこしが売られていました。
ペルーのとうもろこしってジャンボなので、全部ジャイアントコーンに見えてしまいます。
夜は屋外のワイワイがやがやした賑やかなところで食べました。
ペルーの食事は日本人の口に合う
ペルーといえば、セビーチェやロモサルタードなどの料理が有名です。
両者を現地で食べましたが、非常に美味しかったです。
セビーチェは魚介類のマリネで、ロモサルタードは牛肉を甘辛く炒めた料理。
共に日本人の口に合う味付けだと思います。
セビーチェが奥に隠れていますが、見えづらくてすみません。
この時ちょうどミラーレス一眼を初めて購入し、いろんなモードで何のポリシーもなく撮影していた時期があったため、このような?な写真が今後このシリーズでは、ぽつぽつ出てくると思います。
普通の一眼レフと違っていて面白かったゆえの若気のいたりです。
セビーチェのイメージとしては、タヒチで食べたマヒマヒに近いです。ココナッツミルクを抜いたマヒマヒに他の魚介も足しました!みたいな。
現地の定番インカコーラも飲みました。
晩御飯の後、みんなはクラブへと繰り出していきましたが、私は体調がイマイチだったので、一人で宿に帰って早く寝ました。
旅の途中で体調悪いって本当にもったいないですね。
結局3日間こうしてだらだらとリマで過ごしました。
途中、中心部だと思われる場所を歩いていると、急に謎の行進が始まって、ドンチャカ賑やかになったので写真を撮りました。
今よくよく写真を見てみると、行進しているのは結構ちゃんとした格好をした人たちなので、衛兵交代か何かだったのかもしれません。
ちょっとバッキンガム宮殿ぽいです。
体調はだいぶ回復していたものの、細かいことを調べる元気はなく、ここがなんと呼ばれる場所なのかも知らずに、さまよったのでした。
とにかく写真をパシャパシャ。
ミラーレスカメラを使って、いろんなモードで撮っていますが、記憶はほぼなし。
下の写真はピスコサワーが撮りたくて撮ったのだと思います。
これは・・・教会に迷い込んだのでしょう。
そして、ペルーでは何を食べるにしても、食事にはとにかくトウモロコシが亡霊のように付きまといます。
まあ、どちらかというと体調があまり良く無いのに、折角南米まできたんだから!と無意味に歩き回っている自分の方が亡霊そのものでした。
以上、意識朦朧とさまよい、折角仕事がなかったのに無駄に過ごしたペルーの3日間でした。
orz
今度ペルーに行ったら、ちゃんと記憶を残したいです。