春先に開催されたオリンピック(五輪)
開会式は9月15日でしたが、南半球なので、まだ春。
それでも、まだあの頃はオゾン層も薄く、日差しは十分肌に刺さりました。
五輪は20年前は9月に開催できていたのに、今では灼熱の7月に開催せざるを得ない状況。世界のジャイアンやジャイアンもどき、さらにはその取り巻きのせいです。
放送権とかなんとかって、なんでやねん!
別に切れてないっすよ、単なる疑問です。
米国は昔からジャイアンですが、現職のトランプ大統領になってジャイアンっぷりが悪化しています。それに加えて最近では西にジャイ子、さらにはスネ夫もいるので、のび太君(=日本)はみんなのいいなり。
あ〜ドラえもんがいてくれたらな。
ドラミちゃんの「ウイルスバキューム」があったらな。でも、どこでもドアがあったら、コロナはもっと大変なことになっていたかもですね。。便利すぎるのも良くないってことか!
開会式の前から五輪は始まっている
私がキャンベラにサッカーの日本対クロアチア戦を見に行ったのは2000年9月17日でした。
そう、開会式より前です。
結果は快勝。
スタジアムは日本人だらけでした。
当時はスマホどころか一眼レフも望遠レンズも持っていませんでしたが、普通のしょぼい銀塩カメラでも、こんなに大きく撮れるくらい、ど真ん前で観戦できました。
今持っているスマホや一眼レフカメラを当時も持ってたら、めっちゃ良い写真撮れてただろうな。
でも、中田英寿選手や小野選手などの活躍を間近で見ることができて満足でしたし、五輪では他にもテニスの有名選手や体操、バレーボール(残念ながら日本女子はこの時だけ出てなかった!)など世界トップクラスのアスリートを生で見ることができました。
それらのチケットは電話で購入したものでしたが、決して高すぎる買い物ではなかったのです。
私は当時まだお金もコネもない学生。こうした一般庶民がスポーツを身近に感じられ、感動できるのがオリンピック!!!
だと思っていたら、今は様変わりしています。
ホスピタリティーパッケージなどで数十万円する馬鹿高いお金持ち向けのチケットや旅行会社による、これまた庶民目線度外視の高値の観戦ツアー、スポンサー企業が商品購入や懸賞でしか放出しないチケット枠もあり、中には「テレビを買ったら応募できる」などというものも!観戦するために一体いくらお金を出させる気か!と思わせる価格設定です。
オリンピックは20年経った今、アスリートのための祭典ではなく、ビジネスのお金儲けの道具に成り下がってしまいました。
東京五輪は庶民に寄り添っていない
東京都民でさえ、すぐそこで試合をやっていても、観に行けないのが今のオリンピック。
それでも、当時一緒にシドニー五輪を見に行った友達が去年言っていました。
雰囲気だけでも味わいに東京に行きたいと。それくらいオリンピックは私たちにとって特別な思い出なのです。
アスリートのみなさんは今回の延期は本当に本当に悔しくて歯がゆい思いだと思います。
でも、たとえ開催ができなくなっても、めげずに、凹まずに、前進して欲しいと思います。
先日の池江選手のスピーチで「希望の力が必要」という言葉を聞いて、共感しました。希望の灯火はまだ消えていませんし、たとえ五輪が東京でできないという結果になったとしても、ただ諦めるのではなく、世界がコロナ撲滅に向けて全力を尽くすことが大事だと感じます。
来年、東京の空に五輪が浮かび上がるのを見られるかどうかはわかりません。
でも、それを目指して、自分にもできることが何かあるはずで、そのプロセスはきっと無駄じゃないと思います。
人生で結果が出ないことなんて山ほどある。
無駄でも足跡を残すことに意味があり、それが生きている証だと思います。
(完)